- 2019.09.25
- 雛人形について
信州・須坂のひな人形について
目次
田中本家博物館のひな人形祭りは250点ほどの人形が展示。雛御膳もある
長野県の須坂地方は須坂藩主堀家のやかた町として、また大笹街道と谷街道の交差する場として商取引が活発に行われていました。そのため、大蔵造りや大壁作りの屋敷が今も残り、豊かな自然に囲まれた町です。明治時代は製糸業が盛んで、裕福になった街の住人は次々と蔵を建てました。
北信濃屈指の豪商と言われた田中本家屋敷は蔵の規模が大きくて有名です。田中本家の蔵の一部は博物館としてリニューアル・一般公開しています。
田中家は江戸後期には、藩主堀家を上回る財力を持っていた程の豪商の家です。
毎年春になると、お雛様も展示されます。
江戸時代から昭和にかけての田中家代々のひな人形が約250点ほど時代別に展示され、江戸時代の豪華なひな壇飾りや明治時代の市松人形等を見ることができます。田中本家の雛人形は保存状態がよく、傷みが少ない新品状態のものも少なくありません。
保存方法の秘訣は『飾る時より、しまう時に時間をかけている』こと。
一体一体、丁寧にホコリを払って、和紙と真綿でくるんで一体ずつ桐箱に入れて保管を行います。
また、 江戸時代の雛まつりの様子を古文書に基づき忠実に再現したひな会食「雛御膳」が食べることが出来るのも特徴です。
古文書:諸客賄方控帳を再現した初節句のひな祭り料理について
田中本家の蔵には古文書が残されており、この中の一つに「諸客賄方控帳」(:しょきゃくまかないかたひかえちょう)という江戸時代の宴席における献立、使用した食器、道具などが詳細に記載された古文書があります。
この古文書を紐解くだけで、当時の宴席の食生活を知ることができます。
田中本家では、雛まつりの時期には古文書を忠実に再現した節句料理をご提供しています。 料理を作るのは、須坂市内にある創業100余年の料亭「能登忠(のとちゅう)」が担当。
田中本家の料理場で調理をした、 5代目当主:主水氏の初孫の初節句御膳を再現した会食会では、お膳やお重、食器も江戸時代当時のものを使用しています。食べる場所は田中本家の母屋座敷で会食を頂くため、100年以上前にタイムスリップをした感覚に包まれます。
明治時代須坂騒動にて焼失したひな人形について
信州地方では明治3年に須坂騒動という一揆がおきます。
理由は新しく発足した明治政府に不満を示したため。
製糸業が盛んだった須坂藩の豪商や屋敷、蔵などが襲撃されて焼かれてしまいます。田中本家でもひな人形が入っていた蔵が焼失してしまい、代々受け継がれていた骨董品のひな人形が焼失してしまいました。
しかし、現存する蔵にそれでも残り多くのひな人形が残されています。
江戸時代のお雛様の中には、享保雛の他に、江戸で評判だった人形師:原舟月作の『若殿様子供行列』も存在します。
若殿様子供行列(わかとのさまこどもぎょうれつ)とは、木でつくった馬の首形にまたがった若殿様を中心に家臣を従える5体の人形です。この家臣の背中に田中本家の女紋でもある、橘の縫い取りがあります。人気作家、原舟月に特別注文したのが伺えます。
まとめ:田中本家のひな人形は古文書や原舟月の人形が存在している。昔の文化に興味がある方はオススメ。
信州・須坂地方のひな人形は『北信濃最大の豪商』田中本家博物館に、伝統のある雛人形が残っています。
豪商がお祝いしていた初節句の食事会の再現や、江戸時代の人気作家、原舟月の作品があるひな人形展は他にはない、ひな人形や催し物です。
製糸業と商家で栄えた伝統と歴史の街であり、お雛めぐりができる街は素晴らしいですね♪